人生後半勝負おやじの奮闘記

中年おやじのしくじり人生の振り返りを切々と語るブログです。

色々ありました・・2

6月18日。


そろそろ始業のサイレンが鳴ろうかと言う時に凄まじい揺れで事務所や工場は普段では聞く事のない音を立てながらきしんでいました。


そうです、大阪北部地震です。


自身では阪神淡路大震災以来の大地震でした。


あの時はまだ寝ている時間でしたので何が何だか分からない状態だったので正直恐怖は感じる事は無かったです。


勿論後にテレビで見た地震災害の映像や犠牲になられた方々の人数等を知った時には震えは来ましたけどね。


で今回の地震は同僚と仕事前の談笑中に起こったので、もろに恐怖を感じました。


情けない話ですがアラフィフやアラフォーのおっさん達がただ首をすくめて顔を見合わせて固まる事しか出来ませんでした。


少し落ち着いてからは全社員は会社で一番広い駐車場に集まりました。


そこで余震に細心の注意を払いながら退避しつつこの短時間で確認できた被害状況を報告し合ってましたが想像以上の被害に少し焦りと不安が頭をよぎりましたね。


殆どの引き出し付きの棚は倒壊し、引き出しの中身は全て床に放り出されていました。


中には精密計測機器等も有りましたので我が部署としてはかなりのダメージです。


また別の個所では水道管が折れて水が噴き出してました。


当然水に濡れるといけない品物や書類は全て使い物にならなくなってました。


蛍光灯が床に散乱している箇所が多数・・・。


釣り下げ式のエアコンも外れてしまっていたり工作機器も定位置から数センチほど動いてました。


メーカーさんに来て貰って芯出し調整をしなくてはなりません・・。


外壁にもかなりのダメージを追ってましたね。


そんな報告を各管理職の人間同士で行っている間の一般社員が何をやっていたか。


全員が家族の安否確認をしてました。


改めて思いましたが本当に携帯電話って便利なものですよね。


ようやく私も報告を終え家に電話を掛けましたが当然ながら回線はパンク状態でした。


電話もラインもかなり繋がり難い状況でしたがね。


何とか嫁さんと連絡が取れ、嫁さんと下の息子は家に居て無事だと分かり一安心しましたが上の息子は大学に向かってる途中だったらしく電車の中に閉じ込められている状況だと連絡が入ったと聞きました。


会社の方は管理職は明日からの対応を話し合う為に11時過ぎまで残り一般職員はこの場で帰宅する事となり、私が帰宅出来たのは12時を少し過ぎた辺りでしたかね・・。


帰宅すると既に帰宅困難者となっている息子から可能なら迎えに来て欲しいと言う連絡があったそうなのでかなりの覚悟を決めて私は大阪某所を目指して出発しました。


目的地まで約40キロメートル。


普段なら2時間はかからない距離です。(まあまあ遠いですけどね


カーナビの地図を目的地付近まで動かしてみるともうほとんどの道が渋滞を示す赤色の点滅ばかりでした。


まあそりゃあそうでしょうね。


そんな状況でも行くしかありません。


大渋滞の中大阪の中心辺りに到着したのは17時ぐらいでした。


約5時間弱ほどかけて大阪駅付近まで走り、息子は約2時間弱ほどかけて電車を降りた駅から大阪駅まで歩いて来させてようやく合流出来たんです。


当然帰る道も大渋滞でしたよ。


テレビのニュースで何度も放映されていた帰宅困難者さんがズラ~っと並んで歩いていたあの歩道を横目に見ながら帰宅してました。


結局帰宅したのは22時を過ぎてましたね。


途中何か食べようと思ったんですが飲食店はほぼ全て閉まってました。


それならばとコンビニへ・・・と考えるのはみんな同じですよね。


閉まっていたり、開いていたとしても食べ物と飲み物はほとんど売切れてました。


・・・・。


何とか家族全員無事に家で晩御飯を食べれたのは幸いでしたね。


次の日の会社は閑散としていました。


自宅の片づけの為に休みを取る人間と電車が動かない為に出勤出来ない人間等が多数居ましたのでね。


こんな事を言うと常識外れと思われるでしょうが、それでも言いたいです。


私の家族を含め会社の同僚達の家族は全員無事だった事に心から安堵したい。


勿論この地震によって亡くなられた方々や家屋の倒壊等で辛く悲しい日々を過ごされている方が居ます。


正直その方々の事などどうでも良いと言う訳ではありません。


ただ今の私には自分が被災地の近所に住み、そして勤務先がある中で身近な人間が無事であってくれという事しか考えられませんでした。


あれから1か月が過ぎた今でも自宅の近所や会社の近辺、そして配達で回る高槻市や茨木市や箕面市には未だに屋根にブルーシートが掛けられている家が沢山あります。


そして今でもテレビで速報が流れなくなってますが震度1~3ぐらいの余震はちょくちょくあります。


会社と言うそれなりにしっかりとした建物の中で地震に遭遇した私には、か弱い我が自宅で地震に遭遇した嫁さんたちの恐怖が分からない様で、ほんの小さな余震が来ただけでも嫁さんは信じられないぐらいに怯えています。


水道管が破裂して道路から水が吹き上がっている映像をテレビで見ましたがあの場所は配達で何百回も通った事がある道路です。


屋根から水が滝のように流れ、そして照明器具が無残にも垂れ下がっていたJR高槻市駅も仕事やプライベートで何度も訪れた事がある駅です。


地震発生から水は3日断水してました。


ガスに至っては1週間止まったままでしたので風呂には苦労しましたね。


本当に偶然に超安価な2リットル入りのミネラルウォーターを50本ほどを買った所でしたので飲料水にはほとんど苦労は無かったです。


それとカセットガスコンロ用のガスも20本ほどストックが有ったので料理等もそれでなんとか細々としてましたので何とかそちらも少しの苦労しかありませんでした。


とは言えもしそれらのストックが無かったとしたらこの1週間どう過ごしていたのかを今考える事があります。


勿論何年も前から今でもずっと被災してから不自由な暮らしを続けている方々が沢山居る事は知っています。


先ほども書きましたがこの時の私よりも苦しい暮らしをしている方々と比べたら全然ましじゃないかと言う話では無いのです。


普通では無い生活を余儀なくされたこの時の話をしているのです。


飲料水を求めて近くの小学校に給水に来てくださっている給水車の列に2~3時間並んだ同僚が居ました。


数本ずつではありましたが同僚にガス缶と水を提供しました。


私達なりにたった1週間ほどではありましたが不自由な生活でしたね。


とにかくこの一連の地震が収まってくれる事を願います。