人生後半勝負おやじの奮闘記

中年おやじのしくじり人生の振り返りを切々と語るブログです。

そして社会人へ~苦悩の日々・・1

何とか高校も卒業でき、いよいよ社会人になりました。


私の会社は大阪府某所に本社を構え、同大阪府下に3つの工場があります。


更に中部地方と東南アジアに1か所ずつ支社があると言うまあまあ規模の大きな会社になります。


私が入社したのは本社工場でした。


そして配属されたのは第一製造部と言う部署でした。


本社工場には大きく分けると6個の部署に分かれています。


経理・営業部


設計・開発部


電気・電子部


製缶部


塗装部


製造部


となり、それぞれの部を更に細かく分ける課も多数存在する感じになっています。


中部地方の支社は小規模な製造と出張等の宿泊施設兼倉庫と言った感じで、東南アジア支社は東南アジア圏全般の営業を行う名前は一丁前で海外事業部と言う部署があります。


そして3か所の大阪府下にある事業所では旋盤やフライス盤と言った加工機を使って部品の製造を行っています。


それぞれ違う材質を取り扱ってますね。


鉄系、アルミ系、ステンレス系みたいな感じです。


ここまで見た感じではそこそこな規模を持つ企業の様に見えるかもしれませんが、実際は少し大きめの町工場って感じですかね。


で、少し書きましたがその中で私が所属したのが第一製造部と言う部署。


主に何をするのかと言うと製缶部から上がって来たフレームが塗装部で塗装されて来ます。


そのフレームに第二製造部がある部品を組みつけます。


そのフレームに自部門で製作した部品とを連結させるように組み立て、更に軽度な電気配線をすると言う部署になります。


私の部署には嘱託社員さんが3名と課長と係長と2人の先輩の計7人がいました。


とにかく入社当時はまだバブルの時代でしたから本当に忙しく働きましたよ。


恥ずかしながら初任給11万円ぐらいでしたが、月の残業が約100時間ほどありましたから手取りは20万円以上はありましたかね・・。


今と違って土曜日も普通に出勤でしたし祝日も休日出勤して4時間ほど残業もしてましたからそれぐらいにはなってたと思います。


そんな生活を1年ほど続けた頃から次第に仕事は減っていきました。


本当に一気に仕事は激減し、数十人居られた嘱託社員さんは契約を打ち切られ重役さんがたは給料や役職手当などが大幅にカットされるような状況に陥っていました。


会社が暇になると過剰な整理整頓や棚や作業台の意味の無い配置替えや下らない決め事等が増え正直面倒な事が各人に割り振られたりと疲れる事が増え続けます。


そんな中若い社員はこの暇な時に会社全部の部署を回って一通り会社の仕事を見て体験して少しでも多くの知識と技術を身に付けろと言う指示が降りてきました。


まあ良い事だと思います。


これを期に私達も様々な体験と勉強が出来ますからね。


そしてその辞令から1ヶ月後、私達同期の社員はそれぞれ別の部署にそれぞれ2ヶ月間の研修に入って行きました。


入社以降特に居心地が良いと言う訳でもなく人間関係的にも特に問題がある訳でもなくと言う極普通の社会人生活を送ってきた私。


この研修が私にとっては今後この会社で働いて行くと言う事の最大の試練を受ける事になったんです。


続く。