人生後半勝負おやじの奮闘記

中年おやじのしくじり人生の振り返りを切々と語るブログです。

中学生時代~情緒不安定と精神安定剤・・2

嫌いな夏・・・。


まあ夏と言えば夏にしか行わない授業がありますよね。


そうです、水泳です。


私にはどうしても気になる体の悩みがありました。


顔が可哀そう・・じゃないですよ。


足が短い、すね毛がほとんど生えてない・・とかでもありません。


実は私は左の耳の裏辺りから首筋を通って左の肩、肩甲骨、更に左の脇の下から左胸辺りにかけて凄く目立つ『あざ』があるんです。


母親はずっとそれを自分のせいだと自分を責め私に詫びてました。


まあそんなもの母親のせいでも何でも無くただ私の体にはそんなあざがあると言うだけの事ですよ。


・・・と母親の前ではずっと平然とそんな態度をとっていましたが、内心ではかなり気にしていました。


やっぱりあまり人には見られたくなかったですよ。


しかし水泳の時間はさすがに隠せる訳ありませんからなるべく人に背後を取られないポジションでずっと授業を受けていたジ状態でした。


まあ小学生の頃は誰もこのあざに関して聞いてくる人もほとんど居ませんでしたしみんな見て見ぬ振りをしてくれてたんだと思います。


しかし中学校では違っていました。


不安で不安で仕方ない状態で迎えた中学校最初の水泳の時間。


いきなり不安が的中したんです。


一人のクラスメイトがこのあざを見つけた瞬間からこれはどうしたんだと人だかりが出来ました。


とりあえず必死で平静を保ちながら説明はしましたが、この時既に中学校を卒業するまで金輪際水泳の時間には出ないでおこうかと考えていましたね。


で、着替えが終わりプールサイドに集合です。


ここで更なる大きな不安があります。


ここでは女子も居るんですよ。


男はまあまあ『何これ?』とストレートに興味を示してきますが興味を無くすのもとても速いですからこの日の授業が始まる頃には誰一人このあざには触れてきませんでした。


しかし問題は女です。


想像通りのリアクションをされました。


想像してましたからショックも軽減されるはずでしたがやはり小学生の女子と中学生の女子ではリアクションは違っていました。


『何あれ?見てみ、めっちゃキモイやんあれ‥。』


・・と私に聞こえるぐらい声でこっちを指さしながら言われました。


そして『あの人(私の事)がプールに入るのなら私は一緒に入りたくない』


と先生に訴えていました。


先生はその女子生徒をきつく注意してくれましたが、私の心はかなり傷つきましたね。


それからしばらく水泳の時間は仮病を貫き通してました。


そして先生と言う存在に対する憎悪と反抗心に加えて女子に対しても憎悪を抱くようになっていきました。


あの時の女生徒の顔つきと言い方は今でも鮮明に覚えています。


で、あの日以降女生徒とも口を利かなくなりました。


女生徒に対しても憎悪が溢れていますから女生徒の声がするだけでもイライラしますし視界に入って来るだけでもイライラしました。


男女共学の学校に通っている以上女生徒の声が聞こえない状況とか視界に入らない状況等絶対に不可能な訳です。


な訳なんですが、女生徒の声がするとまた私のあざの事を言ってるんじゃないかとか思ってしまうんです。


するとどうしてもイライラが抑えられなくなりせっかく生え揃ってきた右の眉毛が無くなっていき右の周りには血の滲んだ傷が多数増え始めるんです。


そして自分でもこの辺りが一番酷かったと記憶してるんですが、とにかく何処にこのブチ切れスイッチがあるのかも自分ですら分からなくなってました。


授業中机から消しゴムが落ちたと言う事だけでブチ切れ木の机を素手でガンガン殴ったりしてました。


音楽や美術等の授業の為専門の教室に移動し、その扉(引き戸)を開けようとしたら思っていたより重かったと言うだけの事でその扉を狂った様に蹴りまくった事があります。


机を殴った時は骨折しましたし、扉をけりまくった時は足の指の爪がほとんど砕けて血塗れになってました。


当然そんな事してましたら先生に注意されますよね。


そうなったら当然狂った様に先生に反抗するんです。


ほぼアウトレイジな親父と2人の兄が居るんですが、泣きながら心配する母親に対してそんな末っ子の事を笑いながら『時が来たら収まるやろ』と言っていたそうです。


私だけが性格や内面的な事は母親に似ましたからこんな精神状態でも横道に逸れる事はありませんでしたが、もし内面的な事が親父に似ていたら今頃私はどうしてるんでしょうね。


で、当の私の方は相変わらず情緒不安定状態が続いていました。


そして更に症状は悪化していったんです。



続く