人生後半勝負おやじの奮闘記

中年おやじのしくじり人生の振り返りを切々と語るブログです。

小学生時代~精神崩壊への道・・5

連合運動会を終え、また月曜日から通常通りの日常が始まります。


それは私以外の生徒だけ。


私は更に心が病んでいき、何かに集中していない時はずっと脳裏に連合運動会の事を考えてしまってました。


当然考えれば考えるほどイライラが募るだけ・・。


小学生だった私は気持ちを前に切り替えると言う事など全く出来ませんでした。


そのイライラは徐々に自傷行為へと変わっていき、親や友達に止められて初めて気付かされる行動を取っていたようです。


右手で右目周辺を血が出るぐらい爪を立ててつねってました。


右の眉毛は全てむしり取ってました。


右の眉毛をむしり取ろうにももう右の眉毛が無かったため今度は右耳周辺の毛をむしっていました。


とにかく学校に行くのが嫌で仕方ありませんでした。


もうあの先生の顔を見ると怒りしか込み上げてこないのです。


テストの点数も目に見えて下がっていきました。


毎日毎日給食に口を付ける事もなくなり、6時間目の授業が終わってもまだ私の机の上には全く口も付けられていない給食が並んでいる状態でした。


ギャーギャーと先生に怒られましたし学級委員長であると同時に班の班長を務めていた私がそんな状況でしたから当然私の班のみんなも連帯責任で様々な授業に参加できない日々が続いていました。


そんな状況でもその時の私は周りの友達に悪い事していると言う感覚は無くただただあの先生に対して小さな反抗を続けていたのです。


すると連合運動会で銀メダルを獲得した友達も給食を食べなくなりました。


この友達も私の砲丸投げへの出場にかなり激しく先生に抗議してくれていました。


当然その友達の班も連帯責任で様々な授業に参加出来なくなります。


しかしこの給食を食べなくなる生徒は日に日に増え、ほぼ半数以上の生徒が私と一緒に抗議行動を取るようになっていました。


みんなも私と同じぐらいの気持ちで私の金メダル獲得に期待してくれていましたし応援もしてくれていましたからね。


結局連帯責任を課せているとクラスの全ての生徒が授業に参加出来なくなるので流石に困った先生は給食が残った状態でも授業をするようになりました。


しかし給食室のおばさん方には多大な迷惑をかけていると言う理由で給食の時間が終われば残った給食は鍋に戻して返却すると言う感じにするしか無くなりました。


結局この様な抗議運動に参加しない生徒からしたらクラスが無茶苦茶になって非常に迷惑な訳で、それぞれ家でこの状況を親に話す生徒も出まして間も無く先生と保護者が集まって会合が開かれちょっとした大きな問題となっていきましたね。


そんな会合が開かれた所でもう根本的な問題の解決は無理な訳です。


その会合の次の日に緊急でホームルームの時間が設けられ私の砲丸投げ出場の経緯の説明はありました。


『100メートル走で銀メダルを獲得した生徒は校内では2番目の記録保持者だが彼なら連合体育大会では金メダルが獲れると確信していた。同様に1500メートル走で銀メダルを獲得した生徒も校内では3番目の記録保持者だが連合体育大会では金メダルが獲れると確信していた。そうなると史上初の金メダル獲得者が2人出せる可能性が高い。で、タコ坊(私のハンドルネーム)なら砲丸投げでも金メダルが獲れると確信していた。他の生徒なら砲丸投げの金メダルは獲れない。だから走る競技は他の生徒に任せてタコ坊には砲丸投げで金メダルを獲ってほしかった。しかし残念な結果に終わって本当に悔しかった。』


そんな内容の説明でしたね。


私達生徒は学校の名誉獲得の為の道具ではないんです。


訳の分からないその場しのぎの言い訳などどうでも良いのです。


もう私の連合体育大会は帰っては来ません。


下らないその場凌ぎの言い訳を聞かされ更に先生に対する不信感と恨みは増しました。


そして今これを書きながら心が引き裂かれそうになってますが、本当にこの日以降から決して許されない行動を取るようになってしまったんです。


続く