人生後半勝負おやじの奮闘記

中年おやじのしくじり人生の振り返りを切々と語るブログです。

小学生時代~精神崩壊のへ道・・4

出場競技発表の日・・。


それは出席番号順に発表されていまして、私は丁度真ん中ぐらい。


ドキドキしながら自分の順番を待ってました。


そしてついに私の番が来ました。


先生の口から出た言葉は??




『タコ坊(私のハンドルネーム)は砲丸投げ・・。』












・・え?




ほ・ほほ・・砲丸投げ・・?・・俺が???




完全に放心しました。


全員のエントリーする競技が発表されて全員立って準備運動する号令がかかってもしばらく立てなかった事を今でも鮮明に覚えています。


それからの記憶がほとんどない状態の中での体育の時間・・・。


すると突然先生から『ボ~っとせず授業に集中しろ』と叱られた瞬間私の中で何かが壊れたのを感じました。


そしてこれまでの所謂優等生として過ごしてきた小学生生活が音を立て崩れ去り、気が付けば自分でも抑えられないほどの怒りがこみ上げ凄まじい勢いで先生に喰ってかかっていました。


『なんで俺が砲丸投げに出なあかんねん??』


色々と沢山文句を言ったと思いますが、とにかく上記の言葉を連呼していた気がします。


そりゃあそうです。


小学生生活の最後の最後の一大イベントなんです。


イケメン男子はどんな時でもヒーローになれます。


勉強が得意な奴はテストの答案が返って来る時にヒーローになれます。


水泳が得意な奴は水泳の時間に、習字が得意な奴は習字の時間にヒーローになれます。


イケメンでも無く勉強が得意でも無く手先も不器用ですし習字や図画工作なども全くダメでした。


更にこれと言った得意な球技等も無い私が唯一ヒーローになれる瞬間が『走る競技』をする時だけなんです。


一応は気が優しくて力持ち的存在でみんなからの信頼も厚く頂いてはいました。


そう言う信頼があったからこそ常に学級委員長等に選出され続けたんだと思いますし感謝はしていました。


しかしそれは瞬間的に爆発的な目立ち方ではありません。


やっぱりみんなから凄い凄いと言われたいです。


女子からキャーキャー言われたいです。


それが走る競技をする時にはそうなれたんです。


幼稚園の時から小学校を卒業するまでず~~~~~っと運動会ではそうなれたんです。


小学校4年生の時に5年生も6年生も越え私が学校で短距離も長距離も1番走るのが早かったんです。


そんな生徒が出るなんてこの小学校創立以来史上初の出来事らしいです。


・・・・。


で、私が先生に詰め寄り何故私が走る競技ではなく砲丸投げに出場する事になったのかの回答を求めた結果先生が発した言葉・・・。


『太郎が砲丸投げに出るからお前がサポートしてやれ‥』


でした。


その言葉を聞き全身の力が抜けましたね。


そして全ての事がどうでもよくなりその日以降の生活が抜け殻の様になっていきました。


当然100メートル走か1500メートル走に出場すると思っている両親です。


ほぼ金メダルは確実だと思っている両親です。


二人の兄が二人とも銀メダルに終わって自分の息子がこの連合体育大会で金メダルを取る事が夢だった両親です。


その夢を叶えてあげたかった私でした。


そんな両親に私が砲丸投げに出場する事になったなんてすんなりと報告など出来ませんでしたね。


しかし何時までも報告を引き延ばす事など出来ません。


と言うより明らかに発表の日以来全く生気のない毎日を送る私に異変を感じた母親に問いただされ打ち明けました。


その学校の考えにブチ切れた両親は学校に殴り込みに行く勢いでしたね。


・・・・。


全く気力無く練習し迎えた連合体育大会当日。


私の学校からは砲丸投げに10人がエントリーされていました。


必死で投げた所でこの10人の中では太郎にしか勝てない9番目の記録しか出せない私です。


ルールは2回投げて良かった方の記録の上位10名が決勝に残れるというものでした。


長い時間かけてダラダラと競技が進み当然ながら予選で敗退です。


当日は終始喋る事も無ければ当然笑う事すら出来なかったですね。


最後に表彰式があります。


私の学校から男子100メートル走と1500メートル走で銀メダル獲得者が出ました。


そのそれぞれの銀メダル獲得者とは授業や運動会で何度も勝負を繰り広げてきた友達達です。


100メートル走で銀メダルを獲った友達より私の方が自己記録が1秒以上早かったです。


その年の学校の運動会では10メートル以上引き離して流しながら走っても楽勝してました。


1500メートル走で銀メダルを獲った友達はその年の学校の運動会では3位だったんです。


ちなみに2位だったのが100メートル走で銀メダルを獲った友達でした。


その学校の運動会の1500メートル走で2位だった連合体育大会100メートル走銀メダルだった友達を私は200メートルトラックを2周ほど周回遅れにして優勝してました。


連合体育大会の銀メダル獲得者2人は私にとって100メートル走でも1500メートル走でも全く眼中に無い存在でした。


結局100メートル走でも1500メートル走でも僅差での銀メダル獲得でしたから単純計算で行くと私が出場していたら楽勝で金メダルを獲れていたと思われます。


そうなれば私の学校史上初の金メダル獲得者になれたんですけどね・・・。


もしその2人が全くのメダル圏外に終わり、金メダル獲得者が私でも全く歯が立たない様な人だったなら諦めも付いたのかも知れません。


しかしもし私が出ていたら・・・・と言う結果だった為余計に悔しさが込み上げました。


・・・。


この日を機に更に生気を失っていった私は少しずつ壊れていったんです。


続く。