人生後半勝負おやじの奮闘記

中年おやじのしくじり人生の振り返りを切々と語るブログです。

そして社会人へ~苦悩の日々・・6

同期が副係長に昇進したのに対して私に下った辞令は・・?


『中部営業所への異動』


でした。


要するに左遷って奴ですかね・・?(笑


正直会社は辞める気でしたから私的には良い気分転換になるかな・・程度にしか受け止めていませんでしたけどね。


この辞令書を見た他の社員は薄ら笑いを浮かべながら喜んでたらしいです。


荷物整理をしてる最中も私等周りの人間からは見えていない様な扱いでした。


事例から1か月後私は岐阜県某所にある中部営業所へと飛ばされていきました。


既に腐っていた私なんで誰にも挨拶などせず姿を消しましたね。


本当にダメな奴でしたよ。


・・・・。


この中部営業所。


ほとんどがシルバー世代の方々が行っている超軽作業と中部地方よりも東側に位置するお得意様への荷物の配送等を行っています。


そこで私が割り振られた仕事はシルバー世代の方々の仕事のお世話と手伝い、それと配送と事務所での電話番と言う仕事でした。


寝泊りは出張者向けの宿泊施設を間借りする形でしてましたね。


一応は皆さまからは所長と呼ばれてましたよ。(笑


営業所での仕事は凄く楽な事しかありませんでしたしおじいさんおばあさんはみんなすごく優しい方ばかりでした。


大阪本社から送られてきた荷物を仕分けてお客さんの所へ運ぶのも特に苦労はありませんでしたね。


雪が多い日は配達も禁じられていましたので本当に仕事で苦労する事はほとんどありませんでした。


ただまだ21歳の男が長くやる仕事では無いとは思ってましたよ。


・・・。


気分転換だと思いながらストレス0の中の仕事でしたが次第に暇すぎる作業内容に飽き飽きし出したのが転勤をさせられてから1か月が過ぎた辺りから。


プライベートでは何処に出掛けるにも工場の自転車しか無いのです。


配達用の車は使用目的と行先、それと走行距離とそれに伴うガソリンの使用料まで事細かく報告する義務がありましたので勝手に私用で乗る事は不可能でした。


ですので仕事が終わったら自転車でご飯を食べに行くか買いに行くかしないといけませんし、休日にも買い物と洗濯とでほとんど1日が終わってしまいます。


寝泊りしている部屋も6畳ほどの部屋に幅が80センチぐらいの2段ベッドが2セット置かれているだけの部屋でした。


もうほとんどベッドの上での生活です。


まあテレビも何も無い部屋でしたから寝るだけの部屋でしたね。


雨の日は仕事終わりで外食も買い物も行く気しませんから買い溜めしてあるカップ麺で済ましてました。


ここに来る前はちょっとした一人暮らし感覚で少しワクワクしてたんですが現実は違ってましたね。


朝起きて朝飯を食べる時も一人。


昼飯はみんなと食堂で食べますからそれなりに楽しいですが夜飯を食べる時は一人になります。


買って来た物を食堂で一人寂しくテレビを見ながら食べるんですが味云々等感じる事も無くただ胃に食料を送り込んでいるだけみたいな感覚になります。


一人でいるには少々広い建物の中にポツンと居ると偶に霊的恐怖に襲われる事も少なくありませんでした。


・・・・。


そんな短期転勤と言う名のペナルティーが解除されたのが半年後の事。


勿論受け入れてくれる部署などありませんでしたから結局はあの第一製造部に逆戻りです。


まあ半年の岐阜生活で一応は精神も落ち着けましたのでとりあえずは極力課長と衝突しない努力を必死でやりながら仕事をこなしていました。


たった半年だったんですが同期の連中とは物凄い差が開いた感じがありましたね。


・・・・。


そして大阪に帰ってきてから3年後。


ようやくあの課長が定年退職し、押し出される様に私の部署の係長が課長となりまさかの同期だった一人が私の部署に係長として配属されたんです。


自分が頑張れなかったから仕方ないんでしょうが同期の人間が自分の上司になると言うのはなかなか受け入れられない状況でした。


たった1年しか違わない後輩も私が半年間岐阜に行っている間にほぼ私と同じだけの仕事が出来るようになってました。


同期が上司になって後輩に仕事を抜かれる・・・。


この時初めて強烈な焦りを感じたのを覚えています。


その焦りがイライラとなりその矛先は後輩であったり同期ながら上司となった係長へと向けられたんです。


今思えば最低な男ですよ。


ガンガンに歯向かうと言う事は無かったんですが、事ある毎に意見の衝突はありました。


係長で上司とは言え同期の人間です。


ある程度は対等に接しても問題は無いと思ってましたからね。


しかしある日課長に呼び出され係長の指示に素直に従わないとまた会社としては何らかの処罰をしなければならなくなるぞと釘を刺されたんです。


またそこで切れたんですよね・・・。


『田中(仮名 同期の係長)に俺を処罰できるもんならやってみろと伝えて下さいよ!』


とね・・。


すると数日後、再び私は会議室に呼び出されました。


その席には人事部長と課長と同期の係長の3人に加え常務取締役までが顔を揃えていたんです。


正直思いました。



クビかもな・・・と。



そこで告げられた辞令・・。


それは通称南工場と呼ばれる加工工場への完全な転勤命令でした。



続く。











ぼっちでぶらりフォト散歩・・5

知人の家に昼食のお招きを頂き京都府へと行って来ました。


はっきり言って料理がおしゃれ過ぎて食べた気がしませんでしたね・・。


知人と言っても嫁さんの知り合いでして、私はその方とは2度ほどしかお会いした事もありません。


その面識の浅さからお宅でもどうも落ち着かない状況がそうさせたのでしょうね・・。


食後にコーヒー等を頂いてたんですが余りにも落ち着きませんでしたのでちょっと一服がてらお宅を出て来る途中に気になっていた畑の方に散歩に出たんです。


そこで撮ってきた写真がこれらです。




















上手く撮れたかどうかもありますがちょっと写真が暗いですね。


天気が悪かったのもありますが露出補正も失敗してました・・。


まあ写真は上手く撮れませんでしたが寒々しかった先月までの散歩風景から色鮮やかな花が目に付き始めましたのでこれからがもっと楽しみになりますね。


また頑張ります。

そして社会人へ~苦悩の日々・・5

どうしても納得がいかない事・・。


それはドラフト会議でされた評価を基に算出された昇給の金額なんです。


早い話高評価を受けた他の同期と比べると2年目の昇給額が私とは1万円の差があったんですよ。


私の勤務状況を通常通りに査定された結果がこうなのだとしたら文句を言う資格は無いかも知れません。


しかしこの係長からは研修前からご自分の上司からはタコ坊(私のハンドルネーム)には一切仕事をさせるなと言う指示では無く命令が下されていたと言ってました。


ドラフト会議中でも私の評価をする時間中ほぼ全員の課長からは酷評しか出ていなかったと聞かされました。


そんな中自分の立場も危ぶまれるのにも拘らずこの係長は私をこう評価する発言をして下さったそうです。


そして私を自分の課に欲しいと手を挙げて下さったそうです。


話をされながら時折目に涙を浮かべながら私に謝っておられました。


別に係長に謝っていただかなくても大丈夫ですし、逆にお礼を言うのはこちらの方ですからね。


しかし流石にこの会社で頑張って行くモチベーションは無くなってしまいました。


この話を聞いた週明けの出勤は辛いものがありましたね。


悪い事した訳でも無いのに同期との会話も何処か無愛想に受け流していた気がします。


仕事が激減したとは言え社長の心遣いで立派に昇給もして頂きましたし身に余る夏の賞与も頂きました。


その時聞いても居ないのに同期が貰った額を話してきたんです。


当然私も同額貰ってると思ってますから仕方ありませんけどね。


でその金額差が20万円ありました・・・・。


この時代はまだ給料も銀行振り込みではなく手渡しで貰っていた時代です。


同期の奴の封筒と私の封筒とを見れば一目瞭然ですよ。


ボーナスを貰った次の日、例の係長に時間を作って頂きある話をさせて頂きました。


『もう会社を辞めます。本当にお世話になりました‥。)・・と。


すると来年のドラフト会議まで頑張れ・・


そこでもう1回お前を俺の部署に入れるように頑張ってみるから・・


と説得して頂き正直心は完全に折れてましたがこの係長の顔もありますから来年のドラフト会議までは今まで通り一生懸命普通に仕事を頑張りました。


冬には冬の賞与があります。


2年目の冬の賞与から頑張った者には特別手当と言うものが加算されると聞きました。


ランクが5段階。


上から50万円、30万円、20万円、10万円、5万円。


私の同期はこの冬20万円の特別手当が付いていたそうです。


当の私は査定会議で例の係長が一生懸命頑張って下さって本当は特別手当など付けて貰えなかった所5万円の手当が付いていました。


正直有り難い反面もうどうでも良くなっていましたから私の事で無理をなさらないで欲しいと言う気持ちでしたね。


・・・・。


にしても1年しか働いていない社員を評価するドラフト会議・・・。


そんな短期間の勤務時間でよくもここまで評価に差が付けられるもんだと今更ながら思いますよ本当に。


後で言われましたが、ドラフト会議以降私の目つきは更に悪くなり正直怖くて近寄れないと言ううわさが流れていたそうです。


更に昇給額の差と夏の賞与の差を知ってから目つきが悪いと言うレベルでは無くほぼ全ての人間を睨みつけて歩いている状態だったそうです。


眉間にはしわが常に寄っている状態ですよたかだか2年目の若造がね・・。


そりゃあ先輩方に嫌われますって・・(笑


・・・・。


係長に言われた来年のドラフト会議まで普通に過ごせなくなっていた私は遂に眠っていた小中高時代の情緒不安定が目覚めてしまっていました。


気が付けば毎日の様に課長と激突していたと思います。


この頃には当然後輩も居ましたが誰も私に近付いてくる奴は居ませんでしたね。


そんな日々が続いて迎えた2年目のドラフト会議。


特に頑張っていると評価された私の同期達は異例中の異例で副係長と言う役職が与えられていました。


そして私はと言いますと予想もしなかった事例を受けたんです。



続く。